中島徳至

ソウルミュージックのドキュメンタリー映画「永遠のモータウン」

映画「永遠のモータウン」は、全米音楽シーンに数々のヒット曲を送り出した黒人音楽レーベル"モータウン"を描いたドキュメンタリー映画です。

<永遠のモータウン>
監督 ポール・ジャストマン
出演 ファンク・ブラザース、ジェームズ・ジェマーソン、スティービー・ワンダー
原題 Standing in the Shadows of Motown
公開 2002年
アメリカ
動画 予告編(Amazonビデオ)→

1960年代の洋楽

1960年代の日本の家庭では、テレビと同じようにいつもラジオがかかっていました。学生たちは夕方、学校から帰ってくると、すぐにラジオのヒット・チャート番組を聴きました。Jポップ全盛の今では考えられないが洋楽もラジオからたくさん流れてきました。

モータウンの全盛
テンプテーションズ、フォー・トップス、ジャクソン・ファイヴ

中でもソウルミュージックやブラックミュージックの発信源である「モータウン」が生みだすテンポの良いビートとポップなメロディー、それは“3分間の魔法”でした。シュープリームス、テンプテーションズ、フォー・トップス、ジャクソン・ファイヴ、マーサ&ヴァンデラス、ミラクルズ、マーヴィン・ゲイそしてスティーヴィー・ワンダーなど。書き切れないアーティストが大勢います。

ラジオから「モータウン」の音楽が流れない日はありませんでした。

モータウン・レコード
黒人実業家ベリー・ゴーディ

「モータウン」とは「モータウン・レコード」のこと。米国北部ミシガン州デトロイトで生まれ育った黒人実業家ベリー・ゴーディが1959年、デトロイトに設立したレコード会社。デトロイトという街はアメリカ自動車産業のメッカ“モーター・タウン(車の街)”でした。

伝説の裏方ミュージシャン「ファンク・ブラザーズ」

そこから付けられた名前が「モータウン」。ヒット曲は200曲以上。今でも多くの音楽ファンをひきつける「モータウン・サウンド」ですが、演奏者の名前は誰も知りませんでした。映画「永遠のモータウン」は、そんなモータウン・ヒットを生み出した伝説の裏方ミュージシャン「ファンク・ブラザーズ」にスポット・ライトを当てたドキュメンタリー映画でした。

専属バンド

専属バンドだった彼らは狭いスタジオに押し込められ、来る日も来る日も録音し続けました。誰の伴奏かも知らない時もありました。

天才的ベーシスト、ジェームズ・ジェマーソン

彼らはリーダー格の天才的ベーシスト(本作の主役とも言える)ジェームズ・ジェマーソンを中心に独特のノリで「モータウン・サウンド」を作っていきました。老ミュージシャンたちが喜々として、その手の内を明かしてくれます。新人の歌手にはアドバイスを与え(当時少年だったスティービィー・ワンダー)、彼らはひたすら自動車を作るようにたった13人のメンバーでヒット曲を量産したのでした。

1970年代中期にロサンゼルスに移転

しかし、1970年代中期に「モータウン・レコード」はロサンゼルス(LA)に移転。多くのミュージシャンは職を失い、使い捨てられてしまいます。映画の中盤で彼らは数10年ぶりにかつての職場であった小さなスタジオを訪ねます。ドラムセット、ヒブラフォンなど昔のままです。老ミュージシャンは故郷の古い家を思い出し、慈しむように楽器にふれます。感動的な場面です。

クライマックスは彼らが主役の晴れの舞台。曲と曲の間に呼ばれて次々とメンバーが登場します。何人かのメンバーは大きな顔写真の遺影をいすの上に置きます。最後は「史上最も偉大な天才ベーシスト、ジェームズ・ジェマーソン!」。遺影が光輝きます。

グラミー賞の特別功労賞

本作は音楽を奏でることが人生だった男たちの光と影を描いた名作です。映画が公開された後、彼らにはグラミー賞の特別功労賞が与えられました。



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モータウン創立40周年 新社長が来日(中島徳至)

1998年5月

スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソンらを送り出し、米国黒人軽音楽の“ヒット製造工場”ともいわれた音楽製作会社のモータウン社が、創立四十周年を迎えたのに伴い、昨年十月に四代目社長に就任したジョージ・ジャクソン氏が来日し、二十一世紀に向けた同社の新戦略を語った。  

モータウンは、一九五九年にベリー・ゴーディー・ジュニア氏がデトロイトで設立。地場産業である自動車製造の流れ作業をヒントに、専属作家の作品に専属歌手を組み合わせ、モータウンサウンドと呼ばれる独特の音を確立。  

六〇-七〇年代にスープリーム、テンプテーションズ、マイケル・ジャクソンがいたジャクソンファイブなどのグループやマービン・ゲイ、スティービー・ワンダーら作詞作曲をこなすアーティストを売り出し、黒人軽音楽のヒット曲はほとんどが“モータウン印”となる隆盛を極めたが、九〇年代には四人組のボーイズIIメンしかヒットアーティストがいないという苦戦を強いられている。  

「敬意を払われてはいるが、もはや音楽業界に対するインパクトはない」とジャクソン社長は冷静に同社の現状を受け止めるが、「腕っ節の強い男がけんかをしなくなると、弱くなったといわれるようなものだ」と地力をアピールすることを忘れない。ラップ、ヒップホップなどの新興勢力に黒人音楽のヒットのお株を奪われ同社の巻き返しを図る新戦略は、かつての看板スターであるダイアナ・ロスの復帰移籍、強力新人の発掘などを計画しているという。  

スウェーデン歌手と初の契約

新人では、同社としては初めてスウェーデンの歌手を売り出す。ストックホルムでダンス教師のかたわら歌手活動をしているライラ(二五)で、すでに日本とスウェーデンではデビュー作『オール・アバウト・ラヴ』(ビクター)が出ているが、これを米国市場向けに手を加える。ライラは七歳のときにラジオで耳にしたダイアナ・ロスにあこがれ続けてきただけに、同社と米国での発売契約を結ぶことを「誇りに思っている」と声を弾ませる。  

“スウェーデン製のモータウンサウンド”を、本家が“逆輸入”するわけだが、「米国が最高のものを作ったのは過去の話で、今じゃその影響を受けた素晴らしいものが各国にある。因習にはとらわれない」とジャクソン社長。  

また、やはり新人女性歌手のデブラ・モーガン(一八)は、米国でアルバムを出す前に日本を含めた海外での宣伝活動を精力的に展開するつもりだ。  

「ヒット曲って何だ? 売れる曲だ。売れなくては何も始まらない。そのためには、伝統にはとらわれない」と、精力的なジャクソン社長の手腕に、かつて一大帝国を築き上げた同社の新世紀への命運がかかっている。  

「日本で、スティービー・ワンダー、ダイアナ・ロスらが一堂に会した記念ライブもやってみたいね」とも話していた。
              ◇
 

四十周年を記念したCDが発売中だ。代表的なヒット曲をもうらした『モータウン40フォーエヴァー』ほか、ジャクソン・ファイブ、スープリームスなどのベスト盤が、いずれもポリドールから。(中島徳至)