デヴィッド・マンキューソ(DAVID MANCUSO)
デヴィッド・マンキューソは、音楽重視のアンダーグラウンド・クラブの草分けとなったパーティー「ロフト」の主宰者であり、DJ。
伝説のパーティ「ロフト」(LOFT)を主宰
1960年代末にニューヨークの自宅で、招待された人だけが参加できる個人的なパーティーを毎週末行った。 後に「ロフト」(LOFT)として知られるようになるこのパーティは、 アンダーグラウンド文化の発祥地となり、 1970年後半から80年代前半にかけてのクラブの先駆者の一つとなった。
マイノリティーを歓待
「Loft」は、ナイトクラブというよりレント・パーティー(20年代より黒人移住区で行われていた、家賃収入補填を兼ねて行われてたホーム・パーティー)に近く、人種的、性的マイノリティーを歓待した。
音響設備へのこだわり
また音響設備へのこだわり、物語性のある選曲は後進のディスコやDJに大きな影響を与えた。
「パラダイスガラージ」「セイント」「ギャラリー」のモデル
「パラダイスガラージ」「セイント」「ギャラリー」などの超人気クラブも、ロフトのスタイルをモデルの一つにしていた。
インビテーション・オンリー
また、インビテーション・オンリー(招待制)を貫いたマンキューソのパーティー手法は、セレブご用達のディスコとして人気を席巻したニューヨークの「Studio 54(スタジオ・フィフティーフォー)」にも影響を与えたとされる。
ミキサーやヘッドフォンを使わない
DJとしては、選曲において「物語性」を重視。つなぎも含めたミックスを行わない(ミキサーやヘッドフォンを使わない)ことで知られる。 優れたサウンド・システムを使い、低音の強調などをせずにフラットな音を好んだ。
ラリー・レヴァン、フランキー・ナックルズの手本に
マンキューソの選曲や音楽に対する姿勢は、ラリー・レヴァン、フランキー・ナックルズら歴史に名を刻んでいるDJたちの手本にもなったとされる。
レコード・プールを創設
マンキューソは、1975年に世界で始めて「レコード・プール」を作ったことでも知られている。レコード・プールとは、曲の著作権者らから音源を集め、DJがクラブで使用できるようにする仕組みで、現在の「デジタル・プール」の原型の一つとされる。
2005年、「ダンス音楽の殿堂」入り。
72歳で逝去
2016年11月14日、72歳で亡くなった。死因は明らかになっていない。トランプ氏が大統領選で勝利してから一週間後のことだった。 時代に先駆けてLGBTQコミュニティの人たちが存分に楽しめる場を提供した功績に改めて賛辞がおくられた。
デヴィッド・マンキューソとは
職業 | DJ、パーティープロモーター |
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生まれ | 1944年10月20日 |
出身 | ニューヨーク |
参考資料 |
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